子どもがゲームをやることについては、
「子どもがゲームをやっても良いか否か」
っていうことが議題に上がりがちなんだけど、大事なのはそこじゃない。
今日は、そのことについて話していこうと思います。
親の判断は、子どもの思考力を奪う
「子どもがゲームをやっても良いか否か」
っていうのは、
「親が、子どものゲームについて判断を下そうとしている」
わけよね。
親が、子どものゲームについて判断を下すと、
「子どもが自分では判断を下さなくなる」
んです。
親の判断が正義であり、子どもの判断は間違いとなってしまう。
子どもの判断は間違いなんだから、
「子どもは自分の頭で考えようとしなくなる」
んです。
だって、子どもの判断は間違いで、親が代わりに判断をしてくれるんだから、子どもは、
「どうせ、自分で考えたって無駄じゃん」
って思うようになります。
自分で考えて、
自分で判断をしたとて、親から、
「それは正しい」
「それは間違い」
っていう判断を下されてしまうわけよ。
だったら、最初から親の判断を仰げばいいじゃんね。
親の判断こそが正義なんだから、わざわざ子どもが自分で考えたり、自分で判断をすることの意味が無くなる。
子どもは、意思を失い、自分軸を失い、
「自分」
が無くなっていきます。
つまり、
「親が『子どもの課題』について判断を下すと、子どもは『自分』を見失う」
っていうことです。
なんでもかんでも、親が判断をしちゃいけない、って言ってるんじゃないよ。
「子どものことを親が判断をすると、子どもは自分を見失う」
ってことを言っています。
子どもの課題には、親は関係ない
ここで、
「子どもの課題とは何か?」
について話しておきたいと思います。
「子どもの課題」とは、
「子どもが自分の意志で行動をし、その結末を子ども自身が体験すること」
(特に、ネガティブな体験のことを『課題』って言います)
を言います。
子どものゲームは、
「子どもが自分の意志でゲームをし、ゲームをした結末は子ども自身が体験する」
から、
「子どもの課題」
です。
「ゲームをして、昼夜逆転する」
「ゲームをして、学校に行かない」
「ゲームをして、成績が下がる」
「ゲームをして、負けて悔しい」
みたいなことは全部、
「子どもの課題」
です。
ここ、すごく大事なポイントなんだけど、
「子どもの課題には、親は関係無い」
んだよね。
「いやいや、子どもが学校に行かないのは、親は心配するでしょ!」
って思うかもしれんけど、
「親が子どもを心配する」
っていうのは、
「親の課題」
なのよ。
親の心配が「親の課題」ということは、子どもは関係ない。
「子どものことを心配しているんだから、子どもは関係あるでしょ!」
って思うかもしれんけど、子どもは関係無いんです。
なんでかっていうと、
「親が心配をしても、子どもには何の影響も無いから」
です。
もちろん、親が心配だからって、子どもの行動をコントロールしようとしたり、子どもに介入しようとすると、子どもにも影響を与えられる。
でも、これは、
「親が、親の課題を子どもに解決してもらおうとしている」
って言います。
子どもを心配するのかどうかは、親自身の意志で選ぶことができる。
例えば、子どもがゲームをしているとしますよね。
ゲームをしている子どもを見て、
「子どもの将来がとてもみすぼらしくて、辛くなっていること」
を想像したとします。
この想像が親を心配させます。
じゃあ、この想像は誰がしたの?っていうと、親自身ですよね。
子どもが、
「僕の(私の)暗い未来を想像しなさい!」
って言ったわけじゃない。
親がゲームをしている子どもを見て、
親が子どもの暗い未来を想像して、
親が子どもを心配するようになった。
全部、主語は「親」です。
子どもが「ゲームをしている僕を(私を)見て!」って言ってきたわけでもないし、
子どもが「僕の(私の)暗い未来を想像して!」って言ってきたわけでもないし、
子どもが「僕の(私の)ことを心配して!」って言ってきたわけでもない。
親が心配をしているだけなら、子どもには何の影響もない。
だから、
「親が子どもを心配する」
っていうのは、
「親の課題」
なんです。
親が心配するのをやめて、子どもを信じて見守れるようになったとします。
そしたら、子どもは、
「ゲームをして、昼夜逆転する」
「ゲームをして、学校に行かない」
「ゲームをして、成績が下がる」
「ゲームをして、負けて悔しい」
みたいな「自分の課題」について、集中することができます。
子どもが「自分の課題」に集中できるようになると、自分で課題を解決していくことができます。
理由があれば、子どもは自分で起きれる
例えば、多くの親が心配するであろう「昼夜逆転」であっても、例外ではありません。
子どもが学校に行かない選択をすると、子どもには「朝早く起きる理由」や「規則正しい生活をする理由」が無くなります。
昼夜逆転をしても、身体は大きくなるし、特に体調を崩したりすることもありません。
昼夜逆転とは、
「明るいうちに寝て、暗いうちに起きる」
っていうことを言うんですから、それだけで体調を崩したり、心を病んだりするのとはあまり関係がありません。
もし、心身に不調をきたすなら、別の何か要因があるということです。
子どもは「規則正しい生活をする理由が無い」から、昼夜逆転をします。
裏を返せば、
「朝に起きる理由があれば、自分で朝に起きようとする」
んです。
最初は上手くできないかもしれませんが、自分で朝に起きる意志があれば、
「目覚ましをセットする」
「スマホでアラームをセットする」
「親に起こしてもらうようにお願いする」
「徹夜する」
などの手段を使って、何とかして朝に起きようとします。
そういうことを繰り返しながら、子どもは少しずつ、
「生活リズムを自分でコントロールする力」
を身に付けていきます。
「学校に行く」
とか、
「成績を上げる」
などについても同じです。
子どもが「学校に行きたい」と思えば、学校に行こうとします。
子どもが「成績を上げたい」と思えば、成績を上げようとします。
子どもがゲームに負けて怒り狂って、親に八つ当たりしてきた時には、ちゃんと話し合いましょう(笑)
「子どもの課題」については、親が邪魔をしなければ、子どもが自分で考えて、自分なりの答えを出していきます。
自分で考える過程で、思考力が養われます。
自分なりの答えを出す過程で、判断力や決断力が養われます。
自分で出した答えを元に行動をするなら、行動力が養われたり、勇気が湧いたりします。
そうやって、子どもは「自分の課題」と向き合い、クリアしていくことで成長していきます。
子どもは勝手に「自律学習」していく
子どものゲームが良いのかどうかは、
「子どもが決めること」
であって、
「親が決めること」
ではありません。
子どもは子どもの目的に合わせて、少しずつ自制心を養っていくことができます。
それで、ゲームとちょうどいい距離感を取っていくことができるようになっていきます。
子どもは、
「ゲームをしたい」
のではなくて、
「楽しみたい」
のですから、ゲームである必要は必ずしも無いのです。
子どものゲームに関しては、
子どもが自分で考え、
子どもが自分で決め、
子どもが自分で決めた通りに行動をし、
行動をした結果を自分で引き受ける。
これを「自律学習」って言います。
子どもはゲームからも、実に色んなことを学んでいるんです。
親は、子どもが学んだことを教えてもらって「なるほど」と思ったり、
子どもが楽しくやってるのを微笑ましく眺めていたり、
子どもが怒っていきすぎちゃうなら、ちゃんと話し合ったりする。
親の心が安定さえしていれば、子どもがゲームしてても、何の問題もありません。
大丈夫よ。